茨城県造園技能士会会員による庭づくりの写真展が水戸市の常陽藝文センターにておこなわれ、古平園が出展いたしました。 2016.2.25~3.03
出展内容 古平園が出展した写真説明の本文より
ー石を立て、石を組むー
自然の中で石(岩)という存在は、力強く、永遠性を感じさせる。それゆえに、いにしえより信仰の対象とされてきた。庭に石を据える(立てる)ということは石の持つ永遠性を求めたからに違いない。日本最古の作庭書である「作庭記」(平安時代後期)において、石を立てることは作庭の根幹であるとされている。その時代、石を立てるのは寺に仕える僧たちであった。彼らは石(いし)立(だて)僧(そう)とよばれ、現代の作庭家の原点といえる。石の表情は様々であり、それぞれの「石の意」に沿いながら、作庭家自身の自然観を思い巡らして石を巧みに操り、そして風景をつくる。造園技能における最大の特質といえよう。
重さ十数トンを超える筑波石の巨石による石組:成田市T氏邸
―筑波山と筑波石―
二つの連なる峰が象徴である筑波山。それを成り立たせているものは、7500万年前という大昔にマグマが固まってつくられた斑(はん)れい岩といわれる黒く硬い岩である。その岩から自然の力によってはがれ落ちた石が「筑波石」と呼ばれ、全国でも著名な庭石である。筑波山には「弁慶七戻り」、「大仏石」など奇岩が多い。筑波山の自然がつくる造形に思いを寄せ、山石ならではの荒々しくもどこか柔らかみのある表情を活かす。石を立てることによって自然を象徴化した「枯(かれ)山水(さんすい)」は、筑波石の魅力を最大限引き出す庭であろう。
筑波山を借景に筑波の自然に思いを寄せる:つくば市S氏邸
―石を積み、石階(いしばし)をつくる―
石を積むという技術は、中世の城に石垣が築かれる以前に、古墳時代の巨大な墳墓にある石室をつくるために用いられていた。石積みは、石の加工の程度により野面(のづら)、打込接(うちこみはぎ)、切込接(きりこみはぎ)の三種に分けられる。県内でも雨引山楽法寺(桜川市)の切込接による大石垣は圧巻である。筑波山麓では傾斜地を有効に利用するため、農民の手による筑波石の素朴な石垣が多く残っている。現代の庭は、道路より高くつくられておりその高低差を何の素材で納めるのか。作庭にあたり、石の豊富な当地域において石を積み、石階をつくることは必然的なことであろう。
客を招き入れる前庭部において野面積みの隅(すみ)石(いし)と7段の石階により緊張感を出す:成田市T氏邸
―石を畳む―
安土桃山時代、千利休によって「茶の湯」が確立し、庭にも茶室と一体となった空間と機能性が追求され「露地」という庭(茶庭)が生まれた。露地は茶室に客を導くという機能性が重要で、庭を「伝う(歩く)」ことによる視点の移動によって、客の目を楽しませる。その手法は、今日に残る江戸時代の大名庭園に活かされた。それらは「回遊式庭園」とよばれ、現代の公園や庭の基本となっている。飛石(とびいし)をはじめ、伝いの手法は様々で、作庭家の感性と不整形な石を合わせ、形にする技能の高さを見ることができる。
筑波石を畳み、曲線により変化をつけた延段:成田市T氏邸
―伝いの楽しみ―
露地の発展に伴い、「飛石」という園路(伝い)の手法が考案された。「伝い」をつくる石の平面的な構成が、石組や植栽の立体感をより一層強調する。飛石のように単調になりがちな「伝い」をつくる上で、庭に奥深さや広がりを持たせるため、大小の石の配列、調子とそれらの合わせ具合(合端(あいば))など細部にまで作庭家が最も苦心する部分である。また、材料選びも重要である。石の上を人が歩くため天端(てんば)(石の上面)が平らでなくてはならない。数多くの石の中からその庭に合う形、色、大きさを選び抜く。その一つの石との出会いも楽しみとなる。
あられくずしによる大胆かつ繊細な石の配列:取手市U氏邸
―雲仙敷き―
利休をはじめ古田(ふるた)織部(おりべ)、小堀(こぼり)遠州(えんしゅう)などの茶人によって、様々な「伝い」への工夫がなされた。自然石だけでなく、加工された切り石を庭に用いたのは織部が始まりである。切り石のほとんどは、花崗岩(かこうがん)(俗に御影石ともいう)であった。県内にも、桜川市、笠間市において良質な花崗岩(真壁石、稲田石)が産出する。花崗岩の特徴として、均質で白く、比較的加工がしやすいことである。加工の容易さは、作庭家の感性を自由に表現することができる。そこで考案したのが「雲仙敷き」と呼ぶ「伝い」である。
「雲の上を仙人が歩く」というイメージで考案した「雲仙敷き」:つくば市M氏邸
―素材の価値―
露地の発展以降、いつしか「日本庭園には、石(いし)燈(とう)籠(ろう)と蹲踞(つくばい)がつきもの」とされてきた。本来、石燈籠は夜の茶会の際に明かりを灯すもので、蹲踞は水で手を清めるために用いられる。茶の湯から離れた一般の住宅においては、機能性よりも素材そのものの価値が評価されてきた。そこには、「石材加工」という技能によって作り出される直線や曲線、彫刻の美がある。筑波の地には、県内で最も古くから石材加工の歴史があり、鎌倉時代に花崗岩でつくられた石燈籠や五輪塔(ごりんとう)(供養塔の一種)などが数多く現存する。現代にまで脈々と続いてきた伝統的な石材加工の技能を残していくことも我々作庭家の使命ではないだろうか。
伝統的な庭の構成。そこには一つ一つの素材の価値が見出せる:つくば市S氏邸
―竹を編み、垣をつくる―
「垣」と似た言葉に「塀」がある。塀は、物理的に外からの進入を防ぎ強度があるものに対して、「垣」は容易に越えやすい仕切りであり、「垣根越し」というように、内と外との関わりを保ちながら仕切るという機能を持つ。竹を編むという技能によってつくられる網代(あじろ)垣(がき)は、最も古い歴史を持った垣の1つである。網代編みは、ザルの底編みの部分や箕(み)(塵とりのようなもの)などの竹製品に使われていた。その模様が美しく、青竹から飴色になり、月日と共に退色していくのも生の素材であるが故の味わいである。
前庭と主庭を分ける網代垣。竹が緻密に組まれている:つくば市S氏邸
―樹木の魅力を活かす―
日本庭園の代表する樹木といえばマツであった。近年、庭に自然の安らぎが求められる中で、四季折々の変化に富んだ落葉樹を主体とした「雑木(ぞうき)の庭」が主流となっている。本来、「雑木の庭」は、その土地の身近な自然環境をモチーフとしている。その中に花木や幹・枝葉の特徴的な樹木を配置し、石組との調和をはかる。樹木は、時の流れとともに成長する。作庭後10年が経過すると、地に根が十分張り、枝葉が繁茂し、作庭当初は石が主体の庭であっても庭木に目がいくようになる。石とのバランス、周辺の植栽とのバランスを踏まえながら、樹木のもつ特徴を瞬時に見抜く力と感性豊かな管理(剪定(せんてい))が求められる。
市街地にありながら豊かな緑と自然形の樹木がつくるやわらかな線:つくば市F氏邸
―地域性と庭―
「つくば」には、筑波山を中心とする豊かな自然環境や歴史がある。自然をそのままに、石を自然の造形物として崇拝した筑波山。一方、自然を人の中に取り込もうと石を加工し、人工と自然との調和を目指した宝篋山(ほうきょうさん)。先人たちの自然のとらえ方は現代の庭の考え方に通ずるところがある。今後、ライフスタイルの多様化による住まいの「庭」に求められる機能性やデザインを模索しつつも、造園技能のさらなる飛躍に努めていきたい。
筑波石の石組と杯形の水鉢、切り石の延段による庭の構成:つくば市U氏邸